ベトナム・ハノイ文廟

ソース:作者: 2024-01-04 14:43

廟門(出典:『大哉孔子』P178)

進士題名碑(出典:『大哉孔子』P184)

 前漢の頃から儒学はベトナムに伝わり、その後も発展を続けてきた。ベトナム民間では、漢字は祖先を祭る際に必ず使われる「儒字」とされている。ベトナム人は儒字が書かれた紙を踏みにじることを禁じており、この地では儒学は「良教」と呼ばれている。

 ハノイではほとんどの人が文廟を知っており、ベトナムの儒教・孔子を尊ぶ象徴とされ、ベトナム初の国学大学と言われている。1070年、ベトナムの李朝皇帝李聖宗は昇龍城の南に文廟を建て、周公と孔子、そして四配と七十二賢人を供養することにし、同時に王家の子孫にここに本を読ませることにした。最初から文廟は国学堂の機能を兼ねていた。文廟はハノイのシンボル建物であり、その構造は典型的な中国式建築に属し、国内の多くの地方の文廟と同じ。文廟の既存の建物の大部分は17世紀の李朝によって建てられ、敷地面積は26,000平方メートル余り、北に据えて南向きになっている。建物群全体には5組の庭があり、門の外には下馬碑が建てられ、文廟門は典型的な東方廟の風格である。大拝堂の真ん中には「万世師表」と書かれた漢字の扁額が高く掲げられており、「康熙御書」と明記されている。本堂内には孔子の供え机が設けられ、両側には中国とベトナム両国の先儒が祀られている。他の場所と異なるのは、ここの孔子と四配の装束はすべて明代様式であり、ベトナムの儒学が明代に隆盛に達したことを反映した。その中で、大成門、大成殿、奎文閣の中には多くの対聯があり、ベトナム人の孔子と儒学に対する尊崇を表している。天光井の東・西両側には、82個の進士碑が整然と並んでいて、はなはだ西安碑林の風格がある。

 毎年春節には、文廟では非常に盛大な祭事が数日行われ、書道、囲碁、詩の吟詠、闘鶏、闘鳥などの娯楽活動も行われる。

編集:董丽娜

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