南京西街遺跡で六朝梁代の御道・国門跡を発見 中国江蘇省

ソース:新華社作者: 2024-03-04 11:22

 中国江蘇省南京市で26日に開かれた2023年度江蘇地域文明探源重要進展報告会で、同市西街遺跡における南朝梁代建康城の御道と南大門の発見が発表された。六朝(三国時代の呉から南北朝時代の南朝の六つの王朝)の都だった南京の古都文明を研究する上で新たな証拠となる。

 西街遺跡は南京市考古研究院が2017年から調査を続けており、これまでに1万2千平方メートルを発掘。九つの時期の地層が分布し、商(殷)代から近現代に及ぶ堆積が南京の歴史と沿革を裏付けている。重要な発見に商周時代の長干古城と六朝の長干里などがある。

梁代御道遺跡の発掘現場。(資料写真、南京=新華社配信)

 長干里は同市秦淮区に古くからある地名で、史料によると、六朝時代は建康城の南の玄関口として交通の便が良く、商業が発展し、長干寺や瓦官寺など著名寺院が建設された。梁代には長干里に御道を造り、国都にふさわしい玄関口(国門)として南大門を建造した。

 西街遺跡発掘調査の責任者を務める南京市考古研究院の陳大海(ちん・たいかい)副研究館員によると、これまでの調査で確認できた御道の長さは210メートル、幅26メートルで、両側に側溝が掘られていた。南大門跡の幅は約33メートル、奥行き約17メートルで、門墩(もんとん、門枠を支える石材)の両側にれんが敷きの排水施設があり、門道にはれんが舗装が残っていた。門に連なる両側の城壁は表面をれんがで覆った版築(はんちく)製で厚さは11・5メートル。門と城壁の外側には南澗水の水を引き込んだ護城河(堀)が掘られていた。

梁代国門遺跡の概略図。(資料写真、南京=新華社配信)

 史料によると、建康城の正南には朱雀橋と朱雀門があり、建康城に出入りするための主要通路だった。陳氏によると、御道は北の朱雀橋、朱雀門を起点に南に向かって延びていたという。

西街遺跡出土の南朝青磁浄瓶(じょうへい)。(資料写真、南京=新華社配信)

 西街遺跡では越城塁や御道・国門、井戸、窯、灰坑、墓など六朝時代の遺構が500カ所以上見つかり、磁器、瓦やれんがの建築部材などを含む遺物1万点余りが出土した。最も多く出土した遺物は青磁で、窯址を除けば六朝時代の遺跡で最も数が多く、種類が豊富で、品質も良い発見となった。一部の磁器は都城や寺院で作られた特注品で、初めての発見として重要な研究価値を持つ。

編集:董丽娜

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